2024年3月20日水曜日

海外の素敵な建物やデザイン18 マントヴァの街並み

 今回は マントヴァの街の中で見かけた素敵な建物などについて記事にしたいと思います。

マントヴァの街並みは、ローマなどの観光地と異なり整然とした街並みです、ルネサンス期

などの建物を中心に豊かで落ち着いたな印象を受ける街並みです。

エルベ広場の近くに、円筒形の一際目をひく建物がありました。

こちらの 円筒のロトンダのような建物は Rotonda di San Lorenzo 

ロトンダ・ディ・サン・ロレンッオ

エルベ広場の南側に位置する、ローマのラウレンティウスに捧げられた教会だそうです。

11世紀に建てられたそうで、現在もその美しい姿を残しています。

1579年にゴンザーガ家の命で礼拝堂から倉庫等に使われることになったそうですが、

中に入ると陶器のレリーフやモザイク画の断片が残っていて、歴史の重みを感じられる

そうです。


ロトンダ・ディ・サン・ロレンッオ Rotonda di San Lorenzo を近くから見てみます。

後ろにラジョーネ宮Palazzo della ragione や

サンタンドーレア・ディ・マントヴァ聖堂 Basilica di Sant'Andrea も一緒に見ることができ

街全体の美しさや歴史の流れを感じることができますね。

次にエルベ広場からの通りを進んでみます。


ロッジアを持つ美しい建物に出会いました。Palazzo Andreaniとのことです。

ロッジアはLoggia dei Mercanti.  壁にMERCATO GRANARIと銅板のサインがあります。

1900年代に建てられた比較的新しい方の建物ですが、パラーディオのロッジアを彷彿させる

ような建物です。イベントなどが開かれるスペースのようで、訪問した時は

アイアンワークスの制作実演・販売などが行われていました。


傘立てやフラワースタンドでしょうか。素敵なアイアンで作られた小物を見ることができ

ました。

私はこの後、バスでテ離宮 Palazzo del Te へ向かったのですが、テ離宮を出た後に可愛い

ものに出会いました。


こちらです。下の地図、テ離宮の横にある市民プールの庭で出会いました。

 
テ離宮 Palazzo del Teはマントヴァを統治したゴンザーガ家

(ドゥカーレ宮殿を居城としていました)の別荘で、ドゥカーレ宮殿からバスで15分くらい

のところにありますが、そのテ離宮 Palazzo del Te を建築したジュリオ・ロマーニの家が

テ離宮 Palazzo del Te から歩いて10分くらいのところにありました。


ジュリオ・ロマーニ(1499〜1546)は中世の建築家・画家でルネサンス期を代表する

芸術家です。ローマでラファエロの工房で修行を始めた彼は、1524年にはマントヴァに

建築家として招かれ テ離宮 Palazzo del Te の建築及び内装の美術を手掛けました。


ジュリオ・ロマーニの家とされる建物にもルネサンス期の建物の特徴が垣間見られますね。

ヴィチェンツァのパラーディオの記事のところでジュリア・ロマーノのことに少し触れたので

すが、ヴィチェンツァにある市庁舎バシリカ パラッツオ・デッラ・ラジオーネの改修計画

の際にジュリア・ロマーノも改修計画案を出したそうです。

ヴィチェンツァのパラーディオの記事も読んでいただけると有り難いです。


ティツィアーノ作のジュリオ・ロマーニの肖像画です。テ離宮の設計図を持っているの

でしょうか。

肖像画の出典は テ離宮 Palazzo del Te のブックショップで求めた 

「Palazzo Te Mantua SKIRA」になります。


他にもバロック様式の教会が近くにありました。きれいな建物です。

また ジュリオ・ロマーニの家の隣の家などもルネサンス様式で左右対称の美しい様式を

保っています、

ルネサンス期の建築を彷彿させる街並みです。

マントヴァはとても素敵な街です。さて、次回からは テ離宮 Palazzo del Teについて

記事にしたいと思います。


2024年3月12日火曜日

海外の素敵な建物やデザイン17 マントヴァのPalazzo Ducale

今回は イタリア・マントヴァ ドゥカーレ宮殿 Palazzo Ducalの居住スペースと

タペストリーの間について記事にしたいと思います。


案内図の下の方、案内図34のドアを抜けるとAppartamento dell'Imperatrice(Empress'sApartment)

へ行くことが出来ます。

この部分は1778年に建築家 Paolo Pozzo パオロ・ポッツオ(Verona 1741-1803)によって

マリア・ベアトリーチェ・デステ Maria Beatrice d'Este のために改装されたエリアとの

ことです。

ちなみにですが、マリア・ベアトリーチェ・デステ Maria Beatrice d'Este はオーストリア

フェルディナンド(マリア・テレジアの息子マリーアントワネットの兄)の妻だそうで、

ハプスブルグ家の優雅な内装であるのも頷けますね。

だそうです。

もともとは13世紀につくられたとか。。

優雅な内装ですね。家具などもエレガントです。

壁の色合いなども淡いトーンで統一されています。


このようなキュートな浴室(?)もありました。


それでは、ドゥカーレ宮殿の紹介で、ガイドブックなどで必ず紹介される

「タペストリーの間」Apartment degli Arazzi (Room of The Tapestries)についてご紹介いたします。

「タペストリーの間」とは案内図35-37の部屋にわたって ラファエッロの下絵による

フランドル製(北フランスからブリュッセルに広がる地域)の9枚のタペストリーで

飾られた空間です。

「タペストリーの間」Apartment degli Arazzi (Room of The Tapestries)に行くには、

案内図34のSala dei Fiumi(川の間)を出て35のSala dello Zodiaco(星座の間)の方へ行くと 次に35の部屋へ行くことができます。

(Electa THE DUCAL PALACE MANTUA による)

この部屋は。

エルコーレ・ゴンザーガ枢機卿によって1550年につくられた 案内図35のSala dell'Aqullaです。

向かって右側のタペストリは「聖ステファノの殉教」です。

礼拝堂として使われた1つ目と2つ目の部屋の通路です。

正面がフェリーチェ・カンピ(Mantua 1746-1817)によって描かれたフレスコ画です。

右側が同じくフェリーチェ・カンピ(Mantua 1746-1817)によって描かれた「羊飼いの礼拝」

ヴォールト天井になっており、正面のフレスコ画の廻りに彫刻が施されています。

ジョヴァンニ・バッティスタ・マルコーニのテンペラ画(卵などを混ぜた顔料)と

スタニスラオ・ソマッツィのスタッコ彫刻も素晴らしいです・

案内図35の部屋です。

正面が 1549年頃から1557年頃にかけてブリュッセルで織られた「アテネでのパオロの説教」

         Tapestry depicting 「The Healing of the Lame Man」

1549年頃から1557年頃にかけてブリュッセルで織られたタペストリー「身体障害者の治癒」

です。


天井も素晴らしいデザイン・装飾です。


タペストリーはラファエッロ・サンツィオ(Raffaelo Santi/Sanzio )とその工房に

よって制作された原画に基づき3つの部屋にかけられました。

元々は16世紀初めにシスティナ礼拝堂のためにラファエロによって描かれた下絵に基づき

織られたそうです。

マントヴァにある9枚のタペストリーは ウルビーノにあるドゥカーレ宮のタペストリーと

ともに最も古い部類のものだそうで、背景にあったこのような話を知るとタペストリーの

重みを感じます。

Palazzo Ducaleの内装や内部の芸術などについての記事は最終回になりました。

次回からはマントヴァの街やテ離宮などについて記事にしたいと思います。








日本の素敵な建物や庭園④皇居東御苑の諏訪の茶屋

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